※【サブカル恋愛理論】は、サブカル研究家ナンパ師のtakaさんにご提供いただいております。

 

ナンパで

“地蔵”(女性に声を掛けられず、路上で動けなくなってしまう状態)

になる理由。

 

僕の場合それは、

「ナンパで女子に拒絶されること」=「自分の人間性を否定されること」

だと捉えていたからでした。

 

言ってしまえば、

「本当の僕はこんなにイイ奴」、

なのに、女子にはハンパなくガン無視&舌打ちされる(泣)。

 

この状況は、ひどく理不尽な仕打ちを受けているようで、

自己イメージとの折り合いをつけるのが非常に難しかった。

 

だから、メンタルを強く持つために、

ナンパの前は格闘技の試合の動画を観て、

ある意味悲壮な覚悟で声掛けに臨んでいました。

 

だからイマイチ、ナンパを楽しむ感覚というよりもむしろ、

相手の反応に一喜一憂して、

情けなくも女子に振り回されているイメージが勝っていました。

 

だから、自分自身の成長を実感しづらく、

ナンパが段々と重荷に思えてきたのです。

 

でも、僕はナンパを続けたかった。

細く長くでもいいから、自分自身の手でもっと女性経験を切り開きたかったのです。

 
 

苦心の末たどり着いたナンパマインド

 

そして苦心の結果、

ナンパ時のマインドとして辿り着いたもの。

 

それは、

「ナンパは女性に非日常(ファンタジー)を提供するものであり、当然、僕自身も普段の僕とは全く異なる

という発想でした。

 

ある意味、

僕は路上のストリート・パフォーマーであり、

道化師であり、

仮面舞踏会の王子様(タキシード仮面のイメージ笑)なのです。

 

聞くところによると、

ある会員制のクラブは実際に“仮面舞踏会”と称し、

素顔はもちろん、実年齢や社会的ステイタスもオフレコにした上で、

男女のマッチングを図っているんだとか。

 

イメージとしては、

ここ数年のハロウィンにおけるコスプレの熱狂にも通じるものがあるのかもしれません。

 
 

ナンパでは“写実主義”に囚われる必要はない

 

ただ、僕はいつ何時、

いかなる場所でもナンパができるようになりたかった。

 

「素の僕を知ってほしい」

と言いつつも、

僕は変身願望をくすぐられる人間だったのです。

 

だから、ナンパをする際、

“架空の自分”

演じる意識を持つようになりました。

 

僕という人間の自己イメージの輪郭が溶け、

時に、女好きの魔王や、タキシード仮面へと

次第に変身を遂げている自分をイメージするのです。

 

あくまでファンタジーですので、

イメージするものをちっぽけな人間に限定する必要などありません。

 

「もし、僕が魔王だったら、この場面でこんなことを言うだろうな」

と想像し、実際に女の子に言ってみる。

 

そして二人目、三人目の声掛けにおいては、

より精度を増した“相応しいセリフ”を言え、

少しずつですが確実に、自分の進歩を実感できます。

 

アドリブで成り立つお芝居をやる役者さんは、

きっとこんな“成り切る”快感を味わっているのでしょうね。

 

まとめると、ナンパを楽しむ上においては、

“写実主義”に囚われる必要はないのです。

 

ナンパをしたいけれど、

今まさにコンプレックスに囚われて地蔵化している人に

声を大にして言いたいのですが、

 

そもそも自分が正しいと思い込んでいる自己イメージでさえ、

単なる一解釈に過ぎないのですから。

 

ファンタジーをも内包した“ロマン主義”上等のスタンスで啖呵を切り、

素の自分の限界値を超える場にしましょう。

 

そうすると、さっき会ったばかりの女の子に、

「自分の人間性を否定された!」

なんてあり得ないことに思い悩むつまらないナンパライフから、

一皮も二皮も剥けることができるでしょう。

 

ナンパライフ、共に楽しくしていきましょうね!

 

※【サブカル恋愛理論】は、サブカル研究家ナンパ師のtakaさんにご提供いただいております。


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