※【サブカル恋愛理論】は、サブカル研究家ナンパ師のtakaさんにご提供いただいております。

 

以前、某凄腕ナンパ師(G氏)主宰の
ナンパセミナーを受講しました。

 

その時、『嫌われる勇気』という、

対人関係にまつわる一冊の心理学本を
おススメされました。

 

正式にG氏のコンサル生として
入塾した暁には、

この本を熟読し、レポートを
提出する課題があるのだとか。

 

その際僕は、

「珍しく座学の理論を大事にしているナンパ講師だな」

と思った次第です。

 

(一般的なナンパ講師は、

割と直感主導で、路上研修ばかりさ
せる人が多いと聞きます)

 

僕はどちらかというと、

理論を一度頭に落としこまないと
身体が動かない方なので、

なるほどと共感できた。

 

で、なぜG氏がこの本を
おススメしたのか、

実際に読んでみて、
自分なりに考えてみました。

 

(コンサル自体は、
金銭面の都合でお断りしました。)

 

僕自身、ナンパを始めたきっかけは、
失恋でした。

 

「この子とさえ結ばれれば、他の人類全てに嫌われてもいい」

と、めちゃくちゃ思い入れたっぷりで
入れ込んだ子に手酷く振られた

(今思えば、この考え自体、
異性との出会いそのものが少ない、

モロ非モテの発想です笑)。

 

その際、痛感した訳です。

 

「実際のこの世界に“物語”は存在しないな」

と。

 

“物語”とは、

小さい頃からアニメなどで慣れ親しんだ
セオリー(不文律)のこと。

 

たとえば『ドラえもん』という
“物語”では、

主人公がのび太で、
ヒロインはしずかちゃん。

 

この世界線では、
のび太がどんなに屁タレ非モテでも、

ヒロインのしずかちゃんが
彼を見捨てることはない。

 

それどころか、

最終的にどこかで帳尻が合い、
ふたりは結ばれる訳です。

 

いえ、僕だって

「どうせこれはマンガだからな」

とは、頭では理解していましたよ。

 

しかし、感覚としてもっと根深い部分で、

「僕が相手の子を大切に思えば、その想いは伝わり、きっと応えてくれるに違いない」

という、信仰にも近い幻想が、
知らないうちに染み付いていた。

 

でも、それが

「やっぱ元カレと寄りを戻すことにした」

という現実の一言で、
粉々にされてしまった訳です。

 

自分が少なからず拠り所にしていた
“物語”というものへの信仰が、

失われてしまった。

 

ただでさえ中二病気味で、

自分を“選ばれし者”と気取っていた
当時の僕に、これはかなりキツかった。

 

文字通り、世界の“空っぽ”を
見てしまった。

 

それ以来、いい意味で
“他人”に期待しなくなった。

 

そもそも“物語”って、

現実には存在しないからこそ、これだけ
多くの人に支持されてきた訳であって。

 

ある意味、人類の作り出した、

最も偉大な発明だったのかもしれません
(ある種、麻薬のような)。

 

かつて、新宿にあった『牧師バー』
(なぜかマスターが牧師)で、

ガタイのいいマスターが、
ギターでゴスペルを掻き鳴らしながら

こんなことを僕に
言ってくれたことがありました。

 

それは、

「“旧約聖書”の中にも、あなたと似たような悩みを持つ男の話があって。」

「あるところに、誰よりも信仰深い男がいました。」

「でも、父なる神はその男に罰を与えた。」

「理由は分かりません。」

「それでも彼は、神に対して祈りを捧げることを止めはしませんでした」

というもの。

 

想いを向ける対象が、

方や“神”、方や“女性”

という違いこそあれど。

 

G氏に勧められた『嫌われる勇気』の
一節を読んで、

この言葉をふと思い出しました。

 

「“自分の変えられないこと”に気をもむ必要はない」

「そのかわり“自分のできること”を粛々とやればいい」

と、そこには書かれていました。

 

本書で度々引用される心理学者の
アドラーはクリスチャンなので、

あるいは、前述の聖書の一節を踏まえての
言葉だったのかもしれません。

 

それを知って、
途端にふっと心が軽くなるのを感じた。

 

自分のコントロールの効かない
“運命の行く末”にまで気を揉むのが、

もう重荷だったのかもしれませんね。

 

思えば、長らく

『神の国』『カミカゼ』

という“物語”を信奉し、

一部の国以外との国交を閉ざしていた
明治、あるいは戦中の日本。

 

それが、手酷い痛手を被り、

『カミカゼ』の神通力を失った末、
外圧によって国を開かざるを得なくなる。

 

そして、新しい価値観を
獲得するまでの姿。

 

そこに、自分自身が
ダブって見えるときがあります。

少し大げさかもしれませんが。

 

アニメのように都合のいい“物語”は、
どこにも存在しないことを学んだ。

 

それでも、かけがえのない他者
(とくに異性)と、

どうすれば結ばれることができるのか?

 

ヒロイン幻想を失った結果、

幸か不幸か、女性は大同小異
“同じ”に見えるようになりました。

 

“物語”のフィルターが機能しなくなり、

少し“現実”が見えるように
なったのでしょう。

 

ただ、それでも、

“かけがえのない異性”

を求めてしまう。

 

ただ、

そのかけがえのない異性に出会ったときに
チャンスを逃さないためにも、

僕自身、出会いの母数を泥臭く増やし、
男を鍛えておく必要はある。

 

理想の子が空から落ちてくるのを
ただ待っているだけなのは、

もう御免ですから笑

 

さて、僕の私意を離れて、
絵筆がどんな物語を描き出すのか。

 

アグレッシブに出会いを求めながらも、
風向きを楽しく見守りたいと思います。

 

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